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大阪地方裁判所 昭和36年(つ)1号 判決

請求人 康尚[王進]

決  定

(請求人、代理人氏名略)

右の者から、刑事訴訟法二六二条の請求があつたから、当裁判所は、次の通り決定する。

主文

本件請求を棄却する。

理由

第一、本件請求の要旨

一、請求人は、昭和三五年五月一三日被疑者松尾一夫に左記の犯罪事実があるとして、大阪地方検察庁検察官に告訴したところ、同庁検察官は、昭和三六年二月一八日これを不起訴処分に付し、請求人は、同年三月八日右不起訴処分通知書の送達をうけたが、右処分に不服であるから、右事件を当裁判所の審判に付することを請求する。

二、犯罪事実被疑者松尾一夫は、大阪市生野警察署外勤係巡査であつて警察の職務に従事している者であるが、昭和三五年五月七日午後九時三〇分頃同署中川一丁目派出所において、交通事故事件(事故者久保正雄)を処理中、事件の内容を知るため右久保の雇主である請求人と共に来所して、その場で請求人が書く事故現場の見取図を見ていた金浩基に対して、「早く本署へ行け。」「生意気な奴だ。」といいながら、同人の後頭部を小突いたため、憤慨した同人と格斗になつた。そこで請求人は、両者の間に入つて引離そうとしたところ、被疑者は警棒を抜いて振り廻そうとしたので、身の危険を感じて、これを同人より取り上げた。するとすでに逆上気味であつた被疑者は、二、三歩後ずさりをすると所携の拳銃を取り出して、銃口を佇立していた金の腹部に向け、「射つぞ。射つぞ。」と連呼し、同人が「射つなら射て。」といいながら前進するとそれに応じて、同人と約二メートルの間隔を保ちながら約一五メートル後退した。そこで請求人は、両者の争いを制止するため、金の傍に近寄り、同人に対して、「もうやめとけ。」と警告すると共に、被疑者に対しても、「射つなら早く射て。」と声をかけたところ、被疑者は、突然拳銃を発射して請求人の大腿部に命中させて暴行陵虐の行為をなし、よつて同人に対して六ヶ月間の入院加療を要する左大腿部骨盲管銃創、兼左大腿骨々体部粉砕骨折の傷害を与えたものである。

第二、当裁判所の判断

一、本件記録によれば、請求人は昭和三五年五月一四日被疑者松尾一夫に右犯罪事実ありとして、大阪地方検察庁検察官に告訴したところ、同庁検察官稲田克巳は、昭和三六年二月二八日これを不起訴処分に付したこと、請求人は同年三月八日その旨の通知をうけたので、同月一四日当裁判所宛の本件請求書を、同検察官に差出したこと、同検察官は同月二〇日当裁判所に対して、意見書をそえて、本件を一件不起訴記録と共に送付した事実を認めることができる。

同検察官は右意見書において、本件請求は対象となつている被疑事実が刑法一九五条の職務の執行に当つて人に暴行を加えた事実ではなく、単に同法二〇四条の罪に関するものであるから、不適法である旨主張するけれども、請求人は本件においては、前記したように被疑者の金浩基に対する暴行々為は、被疑者が警察の職務を行うに当り、その手段としてこれをなしたこと、又被疑者の請求人に対する暴行傷害行為は、金に対する右暴行々為と同一機会においてなされた一連の行為であることを主張しており、右主張事実によれば被疑者の請求人に対する暴行傷害行為は、金に対する暴行々為と共に被疑者が警察の職務を行うに当りこれをなしたものであつて同法一九五条、一九六条に該当することが明らかであるから右犯罪事実があるとして、これを当裁判所の審判に付することを求める本件請求には、何らの違法の点がない。従つて検察官の右主張は理由がない。

二、そこで本件請求の理由の有無について判断する。

本件記録並びに大阪地方検察庁昭和三五年第八六三二号事件記録によれば、次の事実を認めることができる。すなわち、「被疑者は、大阪府生野警察署に勤務する大阪府巡査であつて、昭和三五年五月七日には、同署中川一丁目巡査派出所において臨時勤務していたが(制服着用)同日午後一〇時三〇分頃、同派出所において、同日発生した交通事故(事故者久保正信)を処理するため、その関係者に対して、生野警察署へ同行を求めたところ、右久保の雇主である請求人と共に来所していた金浩基が、行く必要がない等と因縁をつけ、矢庭に被疑者に組みつき、請求人も金を助けて被疑者よりその所持にかかる警棒を奪い、金と共に被疑者の顔面等を、右警棒又は手拳で殴打したので、被疑者は同派出所前の路上に逃れて、右両名に対して、警棒を返して乱暴な振舞いを止めるよう申入れたが、右両名はこれを聞き入れず、なお金は拳斗の構えで、請求人は警棒を振り廻しながら、夫々被疑者に迫つて、同人の顔面等を殴打したので、被疑者は、やむなく路上を西方に逃げながら、右両名に対して、所携の拳銃を擬し、抵抗すれば射つ旨威嚇したが、右両名はかえつて殺気立ち、拳銃を奪つて反対に被疑者を射つ気勢を示しながら、前同様の構えで、同人に執拗に迫り、更に右派出所より約三〇メートル西方の路上で、請求人は右警棒を振つて被疑者の頭部めがけて殴りかゝつたので、この時すでに右両名に組みつかれたり、殴打されたため、制帽を叩きおとされたり制服のボタンを引きちぎられたりした外、約二週間の安静加療を要する左顔面挫傷等の負傷をうけていた被疑者は身の危険を感じ、右両名に対して拳銃を発射することを決意し、請求人が被疑者の方へ一歩踏みこみその距離約一米となつた瞬間、請求人に対して拳銃を発射し、同人の左大腿部に命中させ、よつて同人に対して全治約八ヶ月を要する左大腿盲管銃創、左大腿骨々体部粉砕骨折の傷を負わせた。」

従つて、右事実によれば、被疑者は警察の職務を行うに当り請求人に暴行して傷害を与えたことが明らかであるけれども被疑者の右行為は次の理由により、正当防衛行為であつて罪とならないものというべきである。

(1)  被疑者の右行為は、右金及び請求人がそれぞれ被疑者を殴打し、又は同人より拳銃を奪おうとする侵害行為に対する防衛のためなされたこと、

(2)  右両名の侵害行為は、被疑者において挑発したものではなく、又拳銃発射直前には、右両名は拳銃を奪う気勢を示し殊に請求人は被疑者と約一メートルの至近距離に接近してまさに警棒で同人の頭部を一撃しようとしていたから、急迫、不正の侵害行為であつたこと(請求人等の右行為は被疑者に対する公務執行妨害傷害罪に当ると考えられる。)

(3)  被疑者は、拳銃を発射するまでに、右両名に対して乱暴をやめるよう説得したが、右両名はこれを聞き入れず、執拗に被疑者を右派出所より約三〇メートル追跡し、この間同人に対して、左顔面等に加療約二週間を要する傷を負わせていること、右両名は共に体格も良く、殊に請求人は警棒を持つて攻撃していたのに対して、被疑者は味方もなく、警棒を奪われた上に、(2)記載の状態に追いこまれていたこと、従つて右のような事情下においては自己の身を守るために請求人の足に拳銃を発射することは、止むをえないものといえること、

(4)  もつとも右認定事実中、被疑者と金、請求人との争いの原因、右争いにおける請求人等の行動について、請求人、金浩基、久保正信は、司法警察職員、又は検察官に対して、右認定に反する供述をするけれども、同人等の供述はその全体の内容からみて、又他の多数の目撃者、並びに被疑者の供述に照らして、容易に措信することができないし、又金泰海は被疑者が、拳銃を発射した当時、同人と請求人との距離は、約三メートルであつた旨供述し、金浩基、久保正信も右と符合する供述をするけれども、右各供述は他の目撃者、特に田中初夫、前川幸、福富睦弘、藤本勲雄、浜田清昭の供述、並びに警察医草野孝二の回答書に、「請求人の銃弾射入口の周囲に円形の黒い硝煙、並びに煙硝臭を認めたこと、又射入角度等から、加害者と被害者との距離は、一メートル以上離れていなかつたものと推定できる」旨の記載がある事実に照らして、容易に措信できない。

三、右の次第であるから本件について、検察官のなした不起訴処分は正当であつて本件請求は理由がないことが明らかである。

よつて刑事訴訟法二六六条一号後段により、主文のとおり決定する。

(裁判官 田中勇雄 野曽原秀尚 竹田央)

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